あたりまえ
こんなすばらしいことを
みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいるお母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる 音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるのでしょうか
しかし誰もそれを喜ばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる 夜になるとちゃんと眠れ
そして又朝がくる
空気を胸一杯に吸える
笑える、泣ける、叫ぶこともできる 走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらいことを みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは
それを失くした人たちだけ
なぜでしょう あたりまえ…
「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」は、井村和清さんという、31才の若さでこの世を去られたお医者さんが、愛娘の飛鳥ちゃんと奥様のお腹にいた”まだ見ぬ子”へ宛てられた遺稿なのですね。骨肉腫で右足を切断され、辛いリハビリを耐え抜かれたにも関わらず、肉腫は全身に転移してしまいました。その地獄のような苦しみの中、最後まで命を振り絞って可愛い我が子に伝えられた命のメッセージなのです。
「こんなすばらいことを みんなは決してよろこばない そのありがたさを知っているのは それを失くした人たちだけ…」今あることは決してあたりまえではなく、むしろ毎日が奇跡の連続なのだと、この言葉によって気づかされる思いがします。
「知恵」とは「恵みを知る」と書きますが、自然の恵みを喜び、あたりまえに感謝出来る心こそ、人として大切な本当の「知恵」なのかも知れませんね。
- 最終更新:2009-01-13 12:21:38