こころの子育て・その2

河合隼雄さん『こころの子育て』より


ある時期にストレス信号を出すのは当たり前だから、そこでビクビクしないことです。


人生ってほんとにいろいろだから、ストレス信号もいろんな形で出てきますが、手抜きの補償もその子に応じてちゃんとできるんです。だから補償する役が自分に回ってきたときは「前にしなかったんだから、いまやらせてもらおう」と思って、あんまり逃げないことです。


「ここで経験しなかったことは、いつか経験させていただく」と言った方がいいかもしれませんね。なにも罪悪感を感じる必要はありません。子どもが足りなかったことを、どうもここで取り返そうとしているようだ、と思ったらいいんです。そして、それまでの不足分を取り返そうとする動きが一番起こりやすいのが、思春期です。


ぼくはよく「人間は、自然に反することをする性質を、自然に持っている」と言うんだけど、そういうところがあるでしょう? 人間は自然を壊しておきながら、しかも自然に還らなきゃいけない。自然に還るいい方法のひとつが、子育てをすることなんです。子どもは自然だから、その動きに応えていったらちゃんと「自然」ができるはずなんです。だけど、そのときにおとなは子どものことを見ないで、ついつい頭で考えてしまうんですね。頭でっかちになってくると、子どもとつきあう時間は損みたいに思ってしまう。子育てに時間をかけることは、すごく大きな犠牲を払っていることなんだ、と考えるようになるんです。でも、子どもの時間に沿っていくことは、ほんとうは、おとな自身が癒されていくことなんです。


親になったら、どうしても直線的にまっすぐ、右上がりに子どもが成長していくことしか考えられない。次はこうなって、と考えるとき、前よりも上がることばかり思うでしょう。ところが実際に子どもが成長するということは、下がっては上がり、上がっては下がり、とジクザグで行くものなんですよ。
ジグザグで下がったとき、親が悠々としてくれてたら、子どもも生きやすいですね。だからといって「ああ、下がってるか」と放っておくのはダメです。ちゃんと気にかけてないといけない。だけど、さわぐことはないんですよ。


子どもが学校に行かなくなるというのは、ひとつの事件です。だからだいたい親は心配するものです。しかしたいていの場合、きちんと対応すれば、時間がかかっても卒業していくものなので、あんまり心配しなくても大丈夫です。……一般論で言うと、少しぐらい遅れてもみなちゃんとやっています。不登校で三年遅れたとしても、ほかの人が80歳で死んで、自分は83歳まで生きればそれであいこでしょう。まあそれぐらいの気持ちでいたらいいんです。


作家の田辺聖子さんは、女学生のとき、万引き衝動に悩まされたそうです。…その衝動は、田辺さんが「小説の真似ごと」を書き始めるころと前後して、突然に消えたと言ってました。自分の内にあるものを表現する前に、外にあるものをなにがなんでも自分の内に取り込みたいという気持ちが高まってきて、万引きの欲求として姿を顕していたんですね。盗みはあくまで悪いことだから絶対に禁止しなければならないけれど、個性は、こんなふうにたびたび悪の形をとって現れてくることがあるんです。おとなが「悪」とみなしていることを敢えてすることで、「おとなの言うとおりに生きているのではないぞ」と表現している。そういうことも、ちょっとわかっておくといいですね。


「どんなに失敗しようが、どんなに負けようが、おまえはうちの子だから」と言える関係ができているかどうか。これはすごく大事なことだと思います。どんなにダメでも絶対捨てられない関係が親子なんです。


ほんとに「思春期のことがわかる」とか「思春期の子にちゃんと物が言える」なんていう人、まあめったにいません。それでもいいのです。

  • 最終更新:2008-12-03 12:21:50

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