こころの子育て・その4

河合隼雄さん『こころの子育て』より


「強い絆で結ばれている」という言い方がありますが、ぼくは絆を強めるよりも深めることが大事やと思います。…お互いの関係の深いところを、なるべく遠く、それこそ「無限遠点」にまで持っていく。その点を介してつながっていれば、相手がどこか遠くに行ったって大丈夫。一番深いところでつながっているわけですから。子どもとの間でも同じで、うんと深くしてつながっているのがいいと思います。その糸を、短くして強めてる人は、相手をコントロールしているだけです。ところが、どんどんどんどん深めていくと、相手はすごく自由になっていくんだけれど、ちゃんとつながっている。


自分の思い通りに相手が動いていなくても、共通点みたいなものがだんだん深くなってくるんです。そうなれば、もうどこにいたって大丈夫です。信頼の深さです。それには、理解が伴うし、友情が入ってくる。親子でも恋人でも夫婦でも、友情によって関係が厚みを持つようになるんです。


子育てを本気でやってたら、いろいろ問題が起きてくるし悩んだり迷ったりすることはよくあると思います。だから悩みや迷いがあるのは問題なのではなくて、問題があるのにちゃんと悩んだり迷ったりしないことが問題なんです。
迷いを持ちこたえる力は大事です。ぼくはそれを「葛藤保持力」と言ってるんです。みんなそれが苦しくて嫌だから、葛藤することをせずに、すぐどちらかにしてしまうんです。「悪いのは私ではない」とか「母親が悪い」とか、決めてしまえば簡単でしょう。それを決めてしまわずに、「母親が悪いかもしれない、悪くないかもしれない。どっちだろう」とずっと考えていく。すっごいエネルギーのいる仕事です。
子育てなんかも、「ダメッ」ととめたらいいのか、もう少し見てた方がいいのか、葛藤そのものだからねえ。


いろいろな葛藤を持ちながら、ぐっと耐えてそれを持ち続ける。それが「おとな」なのだ、というのがぼくの定義なんですよ。


ぼくは、夫婦というのは、川の中に立っている二本の杭みたいなものだと言うんです。そして夫婦の関係というのは、杭と杭の間に張る網なんです。相手として近くの杭を選んだ人は、網は張りやすいけれど魚の収穫は少ない。遠くの杭を選んだ人は、網を張るのに苦労しますが、張ってしまうと収穫は大きい。そのとき似た者同士で近くの杭との間で網を張るか、違うところ、対立するところに魅力を感じて遠くの杭との間に網を張ろうとするかは、その人の運命としか言いようがないです。


子どもは自分で育っていく力を本来持って生まれてきています。だけど、だからといって、親が子どもを放っておくのではダメです。何があっても自分の責任で生きていける子、責任を引き受けられる子に育てる。それを親が目標としてしっかり持っていないと。それを自立と言ってもいいですね。


ただそこで大事なのは、自立と、依存とをまったく対立することとして考えないことです。だれかに適度に依存している人こそ自立しているというか、自立は適度な依存によって裏打ちされていると言ったらいいか。これは親も子どももわかっていてほしいんですが、依存のない自立は孤立というべきで、それでは関係が切れてしまっているんです。自立というのは、親と子の間に新しい関係を作ることです。


家庭というのは、失敗に対してすぐに評価が下されない場なんです。……失敗しても、それが子どものマイナス評価につながらないのが家庭なんです。しかし失敗したという事実はお互いにはっきりわかっている必要があります。
失敗しようがしまいが、その子がここに「存在」してることが、まずすごいことなんだ。そうやって家庭で認められていたら、大きくなって困難な場面にぶつかっても、自己嫌悪にならないんです。
家族の役割というのは、本来はこんなふうに計測不能な、目に見えない方にあるはずなんです。


愛するというのは、相手の人格を認めることがまず中心にあります。でも相手の自主性や人格を認めながら愛するのは、すごく難しいです。相手を生かすことを忘れて、人形を愛するようなのが人を愛することだと思っている人が多いですね。
子どもの幸福は、子どもが自分自身で築いていくんです。子どもを「幸福な状態」に置くことによって親が安心しようとするのは、親の勝手というもので、子どもの幸せを中心にしていない。ほんとの幸福とは、その子が「自分の人生を生きられる」ということなんです。


……だから親はいつまでも心配なわけですが、まあ、心配も楽しみのうちと思ったらいいです。心配することがあるなんて大したもんですよ。そういう心配をするということが人生なんだから。心配をしながら「まあこのぐらいの心配はさせてもらうわ」と思って生きるか、心配に耐えられずにふらふらになるかです。


あまりにも密着した関係というのは、裏切りによってしか離れられないところがあるんです。これは人生のものすごい悲壮なところです。恋人とか、友人とか、親子とか、すごい裏切りによって離れていくことがあります。
裏切りは「裏から切る」って書くように、一般的に言ったら、人間のやることの中で一番最低のことでしょう。絶対的な信頼関係を無にするんだから。しかし悲しいことに、その最低のことをするより仕方がないときがあるんですね。そのことがわかったら、あとで関係は回復しますけど。


家族は「なんでかわからんけどともかく一緒や」という結びつきです。だいたい何でも理由がついて動いてるこの世の中で、なんだか知らないけど親子になってしまった――そういう運命的なものを共有していることは、すごく大事じゃないでしょうか。子どもにしたら、親を選ぶこともできないで、何にも知らないで生まれてくるんですからね。ものすごい運命やね。そう思うとやっぱり親には責任がありますよ。


子どもの問題が起きたら「学校が悪い」とか「友達が悪い」じゃなくて、まず自分の問題として考えてみる。たとえば母子関係に問題があると思うとしても、その前に夫と妻の関係があるわけで、問題はそっちかもしれないしね。目に見えている関係だけ言っていたってダメなんです。


宗教が、人間自身の中にある無意識の深層というものの恐ろしい面から、ぼくらを守ってきたんです。親はそこを知っていないといけません。だから家族の問題を考えていったら、どうしても宗教的なことになる。

  • 最終更新:2008-12-11 09:40:04

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード