意識化するということ

むらさきさんが書いておられること。
「出てくる気持ちがなんであれ、逆に”意識化する”ほうが横に置きやすいんじゃないか」
私の場合は、まさにそうでした。

渦中は無我夢中で、無意識かつ意識的に自分の感情は消していましたが
こちらで様々な本を紹介していただき、またブログなどでも色々な気づきをいただくと
「そうしなくちゃ」
という自分があらわれました。

受容も肯定も「黙って任せる」も
頭だけでの理解で心が伴っていなかったので、大変苦しかった。

「色々湧き上がってくる感情どれもは悪いものではない」
pikiさんがご紹介してくださったサイトをコピーして
何度も読んで。

その内
「なんで心配なんだろう」
「どうして私は不安になるんだろう」
と、娘たちを見ていて湧き上がってくる感情たちと会話し始めていました。

苛々したり心配したり不安に思ったり。
これらは実は「私の自分のもの」
そう感じました。

正体見たり。ですね。

そうすると湧いてきても
「あらあんた、また出て来たのねえ」
「仕方ないねえ」
「居るんだな?居てもいいよ」
と排除しなくなって。

結局、今まで抑え込みながら
「受容」「肯定」とやってる「つもり」でしたので
苦しかったのだと思います。

「あんた、いるのね、いてもいいのよ」
と自分で対話すると
少しずつ自然にそれは「自己肯定」にも繋がってきたようです。

私が私の様々を「肯定出来てくる」
「今、私はこう感じてる」を意識する。
そうすると娘たちにも
「ああ、今あなたはそうなんだねえ」
「私はちょっと違うけど、あなたはそうなのね」
が、言葉ではなくて心の中でそれこそ無意識に気づけばそうなりつつ、の最近です。

なにかがあり、相手がいて
そこで生まれる感情や想いは
「自分で意識してみる」ことで、実は「自分の問題」だということにぶちあたる。
ぶちあたり「そんなこと思ってはいけない」とせず
「ほお~、そう感じるのね私は」
自分をいちいち否定しないと、案外暴れずに居てくれるようです。

親は「心配」も「不安」も
自分の中で「勝手に、ひそかに」
やっていけば良いのかなあ。
きっとたぶん、どうあがいても
一生、するのでしょうから。

そんな風に私は今、思っています。
(今、なので変化もありってことですが)



  • 最終更新:2010-07-14 20:02:35

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